看護師等の資格・経験を活かし、医療現場以外で活躍する看護職が増えています。友納理緒さんは、看護師・保健師に加えて弁護士の資格を取得し、10年間医療現場の医療安全対策や医療事故解決等について活躍されています。また、日本看護協会の参与としても活動され、医療従事者向けに医療安全研修等を行っています。医療現場の外から医療現場を支える「リーガルナース」として看護職の明るい未来を守る友納さんに、前編では看護師の道へ進まれた原点から、弁護士になった経緯や問題意識を持っていらっしゃる医療現場の課題点、国政にチャレンジすることを決意させた原動力についてなど、お話を伺いました。
撮影/和知 明(株式会社BrightEN photo)
異文化を知りたいと訪れたフィリピンで決めた将来の道
高校2年生でフィリピンでホームステイやボランティア経験をされました。高校生でこういった経験をしたいと思ったきっかけは何だったのでしょうか?
私はカトリック系の幼稚園に入園しそこから高校まで一貫教育で学びました。心を育み、人格の基礎を築いてくれた大切な場所です。ただ、高校生になった時に「私は世間が狭いのだろう」という認識を持ったんです。具体的にはわかりませんでしたが、もう少し何かしなければいけないと思っていました。 そんな時、知人から「フィリピンにホームステイする機会があるよ」と声をかけられました。水や電気も通っていないような島でホームステイするツアーだと聞き、異文化を知りたい・自分が知らない世界をしっかり見ておきたいという好奇心に従って行くことを決めました。
実際に現地での経験はいかがでしたか?
日本での生活しか知らなかった私にとって、日々の生活は価値観が変わるほどの大きな衝撃でした。到着したその日に豪雨が降ったのですが、ふと外を見ると道端で子どもたちがシャワーを浴びるかのように雨で体を洗っている様子を目にしたことは、特にインパクトが大きかったですね。
フィリピンでの滞在の最後にマザーテレサが作った「死を待つ人々の家」に行き、ボランティアをしました。ここは亡くなりそうな路上生活者を温かく迎え入れ、必要なケアを提供し最期の時を穏やかに過ごしてもらうための場所です。
シスターが1人1人に愛情をこめてケアを行い、最期は本当に穏やかな表情になって旅立っていかれる過程を見て「これが医療の本質・ケアの力ではないか」と感じました。そこでは看護師の資格を持つシスターが頼れる存在だと知り「看護の仕事は素晴らしい」と思いました。もともと人と接することが好きだったこともあって、人と関わることによって何か解決できる問題があるのならば、それを仕事にしたい。将来の道が決まった瞬間でした。
また、並行して「喜びの家」という、身体障害児などが暮らす施設でもボランティアを経験し、触れ合いを通して子どもたちが目を輝かせ楽しんでくれたことも大きな喜びでした。思い返せば私が小児看護に興味を持ったのはこの経験がきっかけかもしれません。
後輩たちにも同じ経験をしてもらえたらと、ロースクールに入るまで引率者として何度もツアーに参加した
実習で知った看護師の労働実態と、目の当たりにした医療安全元年
フィリピンでの決意を胸に大学で看護を学んでいましたが、大学2年生の時に弁護士になることを決意されたそうですね。
看護の仕事に尊敬の思いを持ち、看護師になろうと大学に入りましたが、大学2年生の看護実習で行った病棟で一生懸命に働く看護師の姿を見てまず感じたことは、その忙しさでした。この頃は、医療事故が社会問題化し(下表参照)し、それまでの医療に対する絶対的信頼が揺らぎ、社会からの不信感が高まっていました。
ある日、医療事故でお子さんを亡くされたご両親の記者会見をテレビで見たのですが、医療者に対する負の感情が大きく、厳しい言葉が並べられていました。ご両親の気持ちを思えば当然ですが、医療者がいくら忙しい環境下で一生懸命働いていても、ひとたび医療事故が起こればこのような状況になってしまうのだと感じ、学生ながら多くのことを考えさせられました。
誰も人を傷つけたいと思って働いているわけではありませんが、人が行うことである以上、医療事故をゼロにすることはできません。「医療事故が発生した時、看護師と一緒に対応する人、最後まで看護の業務を理解して寄り添う人がいたら、もっと安心して働けるのではないか」という思いを強くし、看護師の経験を携えていつか弁護士になろうと決意しました。
表:医療安全推進のきっかけとなった主な医療事故
ミッションーーリーガルナースとして医療事故の原因“看護師の疲労”を改善する
その後弁護士となり、実際に「看護の業務を理解して寄り添う人」となったわけですが、どのような活動をされてきたのでしょうか?
自信が看護師としてヒヤリハットに直面した経験などからも、誰もが事故の当事者になりうる現状を目の当たりにしたことで、看護の立場を理解して対応する人が絶対に必要なのだと痛感し、そのことが弁護士への思いをより一層強くしました。
看護系大学院でリスクマネジメントについて研究したのち、ロースクールを経て弁護士となってからは、1つの事象について「法的には看護師にどのような義務が発生してくるのか」ということを常に考えてケースと向き合っています。看護師は「医師の指示のもと」に診療の補助業務を行いますが、これは医師の指示を黙って聞き入れることではありません。その指示を受けた時に「明らかに違う」と認識できるような時は、看護師には「指摘する義務」が発生します。
例えば、医師の指示を明らかにまちがっていると感じながら何らかの要因で指摘できず、その結果1つの医療事故が起こったとします。指示を出した医師に原因があっても、それに気づいていながら指摘できなかった看護師にも責任が発生する可能性があるのです。
弁護士の活動を通して、医療事故が起こった後に看護師がどのような状況に直面するのか、その時に気をつけなければいけないことは何かということを、看護師の皆さんに伝える必要性を感じ、研修や講演等で発信してきました。
ロースクールでは「看護師は医療現場にいるもの」という社会の固定観念もあってか、
「なぜロースクールに看護師がいるのか」と聞かれることが1度や2度ではなかったと振り返る友納さん
10年間の弁護士経験を土台として次のステージを国政に移そうと準備されていらっしゃいますが、何が友納さんを動かしたのでしょうか?
私の原動力となっている1つは、医療事故の要因となりうる看護師の疲労を法律によって改善したい、という思いです。
看護師の疲労の蓄積によって起こった医療事故は1件ではありません。弁護士として1つのケースを一生懸命解決しても、また別のところで同じような医療事故が発生します。
裁判にかかる医療従事者の負担は予想を超える大きさで、時には当事者が自信を失くして辞めてしまうこともあり、どうしたらそのような状況を防げるのかと考えました。
弁護士として1つ1つのケースに対応することで、当事者の方たちの力にはなれているかもしれません。しかし、それでは解決できない根本的な問題があるならば、立法の立場で128万人の看護師(就業中の人数/2020年末現在)の権利を守ることに視点を移し、大多数の看護師が安心して働ける環境づくりを目指したいと思い、決断しました。
まとめ
フィリピンでのボランティア経験と社会問題となった医療事故が友納さんのキャリアを導き、リーガルナースとして看護師の疲労を改善すべく尽力されていることがわかりました。後編では、10年間の弁護士活動を経て次のステージとなる国政に舞台を移そうとする友納さんの思いを伺います。
おわりに
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