教育は、医療機関のめざす未来像を実現できるように、スタッフが成長し、活躍できるようにするための活動です。少子化に伴う人材不足の時代において、教育は、採用とともに「よい組織づくり」「よい医療を提供するチームづくり」に必要な両輪の一つです。この記事では、デジタルの力をつかって、教育の課題を解決するアプローチ「教育DX」についてご紹介します。
教育DXとは何か?
従来の現場教育では、先輩が後輩に知識やスキルを伝え、その後輩がさらに次の後輩に伝えていく方法が主流でした。屋根瓦のように一枚一枚重なるように、各世代のスタッフがそれぞれの段階で学び、教え、成長していくことから「屋根瓦方式」とも呼ばれます。
屋根瓦方式は今でも有用な教育方法です。しかし、人材の流動性が高まっていること、仕事に対する価値観が多様化していること、働き方に関して見直しを求められていることなど、社会的な変化が大きくなっている中で、従来の方法論だけでは対応しにくくなってきていると考えます。
また、教え上手が世の中にあふれていたら教育の悩みの多くは解決しますが、実際には教えるのが上手な人は多くありません。
そこで、教育技術が最上でなくても、教えられる側が多種多様であっても、一定の水準以上の教育をおこなえるようにできるかどうかが重要になってきます。そのためには、データや仕組みを活用し、組織的に教育の質を高めていくことが、これからの医療機関においても必要になります。これらのことを踏まえて、「教育活動でデータを用いて分析や振り返りをおこない、教育に関する判断や活動を改善する方法論」を、教育DXと呼ぶことにします。
教育に関する2つの課題
医療機関における教育では、「なんとなく評価」と「担当者まかせ」の2つが課題だと考えています。医療専門職の業務や技術は暗黙知の部分が多いのが特徴です。例えば、手技は先輩の教えや経験によって培われます。もちろん、近年では手技の手順やコツを丁寧に記載した書籍や雑誌もありますが、その医療機関独自の手順や方法については、現場でのオン・ザ・ジョブ・トレーニング(OJT)を通して、教えているケースがほとんどでしょう。
中核となる人材がほとんど離職せず、長年在籍する組織では、暗黙知をベースにした教育体制でも再現性が高く、よい教育を提供し続けられます。しかし、ベテランや中堅が同時に辞めてしまうなど、人員構成が大きく変わる事態が発生すると、組織内で培われてきた暗黙知も失われ、翌年からの教育体制に少なくない影響を与えます。新人や若手職員の習熟が大きく遅れたり、業務の抜け漏れが発生したりするなど、組織運営に支障を来たす可能性もあります。
教育DXの事例
現状の教育方式が抱える問題を解決し、継続的に教育していく形を作るために、教育DXに取り組んだ医療機関の事例をご紹介します。
東京で在宅医療を提供している「おうちの診療所」の、看護師の教育DXの事例です。
在宅診療所の看護師の業務には、『訪問診療に同行し処置やケアをおこなう』、『患者や連携先からの電話に対応する』、『検査や医療材料を管理する』などがあります。
おうちの診療所では、従来、新たに入職した看護師に対して、先輩看護師を教育担当としてマンツーマンで配置するOJTを主とした教育をおこなっていました。また、主な業務についてはマニュアルを策定し、新人看護師が閲覧できるようにしていました。看護師の業務以外に関しても、職場内の人間関係や診療所独自のシステムに慣れてもらうために、オリエンテーションプログラムを用意していました。一見すると、他の医療機関と比べても遜色のない丁寧な新人教育の仕組みでした。
しかし、実際に実施してみると、複数の問題が発生し、うまくいきませんでした。
当時、おうちの診療所は開業から1年が経過した頃でした。患者数が増え始めたことから、積極的に看護師採用を開始し、組織の拡大期に差し掛かったところでした。採用も順調に進み、ドンドンと新しい人が入職し、組織も拡大していきました。それとともに、患者数も更に増えていきました。
新たな入職者が増えることによる教育負担の上昇と、患者数増加による業務量の増大がほぼ同時に発生する状況になりました。このため、教育担当の看護師は、日々増えていく自身の業務をこなしながら、断続的に入職してくる新人への教育もしないといけない状況になり、負担過剰になっていました。まさに「担当者まかせ」のパターンに陥っていたのです。
また、マニュアルを整備したものの、それらは新人教育で十分に活用できていないことがわかりました。マニュアルが用意されていても、「マニュアルの使い方」の検討が十分でなければ機能しないことが後にわかりました。
そして、最も重大な問題として、「新人看護師はいつまでに、何ができるようになればいいのか」という到達目標について明確な答えを用意していませんでした。新人はゴールが不明確なまま教育を受けていました。
この反省から、おうちの診療所では、看護師の新人教育で3つの変革に取り組みました。
1つ目は、「スキルの可視化」です。在宅医療における看護師のスキルを5項目に分け、その項目ごとに5段階のステップに整理して、表にまとめました。筆者と教育担当看護師で話し合い、一つ一つ言語化していきました。この表を「ステップ表」と呼んでいます。
実際のステップ表の一部は以下になります。
2つ目は、ステップ表をつかって教育担当と新人の間で進捗状況を話すようにしました。週に1回程度、教育担当と新人で話し合って、5項目それぞれがどの段階まで進んでいるかを決めます。(実際の教育担当者のコメント記事はこちら)
決めたら、それを所定の場所に入力します。おうちの診療所では、Notionというドキュメントツールをつかって管理しました。
3つ目に、ステップ表を基に週1回の進捗会議をおこないました。15〜30分の会議の中で、新人2〜4名の進捗状況を確認し、今週どのような形で教育や配置を進めていくかを話し、ステップ・バイ・ステップで方針を決めていくことを繰り返しました。
これらの取り組みにより、新人教育の到達目標と進捗状況が可視化され、教育担当を主としながらもチーム全体で教育に関与できるようになりました。ステップ表により個別の進捗状況が一覧で確認できるようになったことで、2つの大きな効果がありました。項目ごとに評価ができるようになったことと、建設的な改善策につながりやすくなったことです。
教育DXのポイント
上記の事例を踏まえて、教育DXのポイントを解説します。
前述のとおり、医療機関における教育の課題は、「なんとなく評価」と「担当者まかせ」の2つにあると思います。この2つは「教育担当に口が出せない状況」と「教育担当が周りから協力を得にくい状況」をつくります。
おうちの診療所の事例では、評価基準を明確にして、データに基づく評価をおこない、担当者を主としたチーム教育の場をつくり、共通認識・共通言語で建設的に話し合い、少しずつ改善していく形にしました。
評価基準を言葉と表にまとめたことによって、共通認識と共通言語をもち、客観性を担保して話し合えるようになりました。
教育では業務内容や技術を評価することが必要です。しかし、教育の進捗度をうまく表現するのは難しいです。伝え方や受け取り方次第では「できないと言われた」「自分は否定された」などと誤解されかねないからです。
今回紹介した事例では、ステップ表によって共通言語を整備し、「教育担当以外も進捗がみえて、関与できる」ようにするとともに、「教育担当も周りに相談できる」ようになりました。
教育投資がどのように利益につながるか
経営者の方から「教育に投資して利益は増えるのか」といったご質問をいただくことがあります。組織を経営する立場からすれば、「利益の確保」は組織の維持・発展のためにも、患者や地域への貢献のためにも必要なことですので、その効果を気にされるのは当然だと思います。ここでは、教育投資と経営的成果の関係性について説明したいと思います。
職員教育にかかる費用はけっして小さくないうえに、数ヶ月程度の短期間ではその効果が利益に反映されにくいです。しかし、中長期的にみると、スキルや知識を向上させ、チーム全体のパフォーマンスを高め、経営改善につながります。
教育に投資をすることで得られる経営的なメリットとしては、まず、「生産性の向上」が挙げられます。「同じ質の仕事をより多く提供することができる」もしくは、「同じ時間でより高い質の仕事ができる」ようになることが”生産性が向上した状態”といえます。
例えば、理学療法士に対して、新人教育を行うことで、「入職後、従来よりも早期に、一定のリハビリの質と単位数に達すること」ができれば、この教育は「生産性の向上に寄与している」といえます。単位数は売上や利益に直結しますし、より多くの患者さんにリハビリを提供できるようになれば、早期退院や早期離床を実現するための選択肢を広げることになります。新人が一定以上のリハビリの質を早く実施できるようになれば、教育担当の理学療法士の手が空き、他の患者さんにリハビリを提供できるようになります。
また、教育のためのツールや仕組みが確立すれば、教育がしやすくなり、「教育の生産性」も向上します。つまり、「どうやって教えていいかわからない」「どうやって評価していいかわからない」といった教育上の悩みを減らせば、教える側と教えられる側の双方で、生産性の向上につながるのです。(病院のリハビリテーション課で教えやすさ向上や単位数増加を実現した事例記事はこちら)
この他、教育は「職員満足度の向上」の観点でも、経営改善に寄与します。教育に伴う自分自身の成長やその実感は、その職場に長く勤めたいと感じる一因になります。また、チームとしてスキルアップを目指すことは、特定の職員に頼らざるを得ない「属人化」を防ぎ、チーム内での助け合いを促します。これらは、中長期的にエンゲージメントを上げ、離職率の低下につながります。離職率の低下は、採用コストや教育コストを下げます。
この他にも、自院のブランド価値の向上や、患者満足度の向上などがあります。
以上のように、教育投資は中長期的に売上や利益にも寄与します。もちろん、そのためには、中長期的な利益につながるように設計すること、実施した教育活動を振り返って組織的なノウハウにしていくことが求められます。
まとめ
教育DXは、医療機関での教育の課題を解決する有効な手段です。実際の事例を通して、データに基づく評価とコミュニケーションの設計がいかに重要であるかをお伝えしました。紹介した方法はあくまで一例です。自院に合った教育DXで、教育という「悩みの種」を「成長の種」に変えることが可能です。本記事を通じて、みなさんの医療機関の組織づくりの参考になれば幸いです。
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※本記事は、倉敷中央病院医事企画課係長 犬飼貴壮さんと名古屋市客員起業家 木野瀬友人さんにアドバイスを得て執筆しております。
おわりに
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